SSブログ

17 Again (セブンティーン・アゲイン) (2009年) [洋画]

監督:バー・スティアーズ
出演:ザック・エフロン :(マイク)、マシュー・ペリー (マイク)、レスリー・マン(スカーレット)、アリソン・ミラー(スカーレット)、トーマス・レノン(ネッド)、ミシェル・トラクテンバーグ(マギー)、スターリング・ナイト(アレックス)、メロラ・ハーディン(ジェーン・マスターソン校長)

高校時代に子供ができちゃって結婚した37歳のさえない男が、人生絶頂とも思える17歳のころに戻り、人生をやり直す、というお話。しかし、主人公は、こうなったのは人生をやり直すためではなく、自分の子供たちを守り妻の愛を取り戻すことが目的だったのではないかと思うようになっていく。

子供ができちゃったのが20年前で、なんでその子が高校生なんだよと言いたくなるのだが、まあ、そんなことはどうでもよくて(そもそも37歳のおやじが中身そのまま肉体だけ17歳に戻るということからしてわけがわからないのだから)、おとぎ話(fairy tale)と思って見ればいい。主人公は、最初人生のやり直しが目的だと思うのだが、そのうち、自分がいかに夫として父親としてダメだったのかに気づく。しかし、それもあまりうまくいかず、ラスト近くで人生のやり直しのチャンスが訪れる。主人公はかつて自分がした判断と異なる決断をして、やり直そうとするのか?そこがクライマックスだ。

そして、なるほどそうか、人間の本質は年をとっても変わらないのだな、でもそれでよかったのだよなと思わせられる。結局は、昔に戻りたいとか、あのときこうしていれば・・・、なんて考える必要はまったくなくて、むしろそう考えていたことが今の人生を悪くしていたということに気づく。自分の判断については自信を持って肯定し、将来に向かって生きて行けばいいのだよ、と教えてくれているんだ。

構成やシーンの使い方が上手で、(自分としてはいらないと思うけど)おまけのサイドストーリーもついていて、いい映画だったと思う。今まで全然知らなかったけど、主演のザック・エフロンはすごい人気者だったんだ。でも、10代のスカーレット役のアリソン・ミラーはかわいらしくてよかった(最初しか出ないけど)。

映画のポスターの標語、Who says you're only young once?というのもなかなか含蓄がある。直訳すれば「若いのは一度きりと誰が言ってんだ?」だけど、若さというのは年齢のことじゃない、ということだろう。

Samuel UlmanのHow to Stay Youngという詩の冒頭に、Youth is not a time of life; it is a state of mind.という一節があることを思いだした。

(2009年8月19日)

続きを読む


Gran Torino (2008年) [洋画]

監督:クリント・イーストウッド
出演:クリント・イーストウッド(ウォルト・コワルスキー)、ビー・ヴァン(タオ・ロー)、アーニー・ハー(スー・ロー)

6月25日、出張先からバンクーバーに戻ってくる飛行機で。

クリント・イーストウッドが劇中で死ぬ映画というのは初めて観たが、また前にあったのかどうかも知らないが、そのような映画を作ること自体が、(偉そうだが)彼が扱っているテーマが人生そのものや死というものに収束してきていることを示しているのかなと思った。そして、その彼がいわばバトンタッチしようとした相手がアジア人であったことも一種の驚きだった。また、うまく説明できないのだが、カメラワークが安定していて、人間に対する優しい目が感じられた。今は思い出せないが、とても優しいいいカットがあったのだ。青木新門さんのいう「光」が見えている感じ。

字幕もなかったから会話の細かいところでわからなかったことも多々あり、特に若い神父とのやりとりがよくわからなかった。どうも神父には何かの役割を与えていたようなのだが、それがわからない。実は大事なポイントなのかもしれず、だから映画の見方が一面的になっているかもしれない。

やたらと銃を持ち出すところや、クリント・イーストウッドならではの強さだよね、とか、あのギャングがいなくなればタオとスーの平安は守れないと言ったけど他にもギャングはいるんじゃないの?といった突っ込みはできるだろうけれども、彼が問うているのは人が生きることの意味だと考えれば、そんなことは気にならない。生きるということは、まず自分が一生懸命生きることだけど、誰かにバトンタッチしていくことも大事なのだ。この映画はクリント・イーストウッドの遺言なんじゃないかと思った。いい映画に出会えてよかった。

日本語ウェブサイトのキャッチフレーズは「俺は迷っていた、人生の締めくくり方を。少年は知らなかった、人生の始め方を。」となっており、英語のサイトには見当たらないから、これは日本で考えられたのではないだろうか。(また偉そうだが)実にうまいもので、さすが日本人と思った。

(2009年7月1日)

美女はつらいよ(2006年) [洋画]

監督:キム・ヨンファ
出演:キム・アジュン(ハンナ)、チュ・ジンモ(サンジュン)

 原作は鈴木由美子という人の「カンナさん大成功です!」というコミックとのこと。また、インターネットでみたところ、原題の韓国語は「美女はつらいの」と訳されるとの説あり。これまた7月13日に飛行機の中で見たもの。

 コメディーなのだが、ほろりとさせられるところもありで、面白い。登場人物のキャラクタにゆれがあるところが気になるといえば気になるが、日本の(長期)連載コミックにはよくある話。

 ストーリーは原作とは少し違うらしいが(原作を読んでいないのだが)、モチーフが良いと思う。そこに、主人公のハンナを演じたキム・アジュン(ほぼ新人)がうまくはまっている。美人でスタイル抜群なのだが、もともとはコンプレックスで一杯だった「太ったハンナ」だったということがうまく出ている。演出がうまいのか。その辺はよくわからない。

 でも、やっぱりキム・アジュンがうまくはまったということに尽きるのではないかなあ。とってもいい。

 韓国では美容整形が非常によく行われているそうで、それもあってか、韓国では大ヒットしたようだ。

(2007年8月29日)

ホリデイ(2006年) [洋画]

監督:ナンシー・メイヤーズ
出演:キャメロン・ディアス、ケイト・ウィンスレット、ジュード・ロウ、ジャック・ブラック

 飛行機の中で見たものを巻き戻して記録。4月20日だったかと。

 月並みだが、良くも悪くも王道を行っている映画ということか。自分の気持ちに正直になるということ、人に振り回されず自分の道を行くということ、そこには必ず同志がいるということか。そのへんはやっぱりアメリカ映画的なにおいがぷんぷんするけれども、それが大事なのではないか。思い切り生きて、思い切りぶつかって、そこから何かを見出して、かつ、世の中がよくなっていくということではないかと。----日本では、最近でもよく日本経済の「復活」というような言い方がされるけれども、そこには、かつては完成された世界があり、そこに「戻る」という暗示がある。どこかに予定調和的な完璧な世界があるという発想になっているが、それでいいのだろうか。

 いずれにせよ、気持ちよく見られる映画。

 出演も、昨今そろえられる役者で最高のものを並べたというところだと思う。そして、それぞれがいい持ち味を出している。ジュード・ロウは映画で見るのは初めてだったが、写真より動かしてしゃべらせたほうがよいね。動いたほうが静止画よりもかっこよくて、また、声が写真から想像されるよりも低音で、ブリティッシュアクセントがよくはまっていた(あたりまえだが)。ジャック・ブラックはこれからどうなっていくかが楽しみ。

 アメリカ西海岸的ギンギラギン生活と、イギリスの郊外での質素な生活(しかも冬)が対比的になっている。製作者の意図とは関係ないだろうが、ジュードロウとイギリス生活というのがどうも懐かしい感じがした(わびさびな感じ)。これに対して、西海岸的陽気さには、心温まる挿話もちゃんと入っているのだが、少々うっとうしい感じ。上に述べた「思いっきり生きて・・・」というのとは若干矛盾するような気もしないでもないが。その辺は、またあとで。

(2007年8月26日)

300 <スリーハンドレッド>(2007年) [洋画]

監督:ザック・スナイダー
出演:ジェラルド・バトラー(レオニダス王)、レナ・ヘディ(王妃)、ロドリゴ・サントロ(クセルクセス大王)、デイビッド・ウェナム(ディオリス)

 7月13日、飛行機の中で観た。ペルシア戦争における「テルモピレーの戦い」を題材にしたものだそうで、一説には、この戦いにおいて「300人」のスパルタ軍が、100万ともいうペルシアの大軍を相手に3日間持ちこたえた事実は歴史を変えたのだそうだ(あくまで一説ね)。そういう認識の下この映画が作られたという解説をどこかで見たような気がする。

 映像はいい。とてもいい。クセルクセス王もいい(俳優さんもいい)。スパルタ戦士もかっこいい。

 ただ、問題は話の作り方だね。(以下ストーリーが入ります)
 
 負ける、しかも玉砕するとわかっているのに、なぜ戦ったのか。人間の自由や尊厳を守るためには、時には血を流す必要があるのだ、というのが、この映画におけるレオニダス王とか王妃の答えになっている。そこでアメリカ人なら拍手なんだろうけど、あまりにアメリカ人的すぎない?というのが正直な感想。それから、自慢の息子を連れてきた隊長がその息子が殺されて錯乱するところは、「他にも息子がいるから死んでもいいのだ」と最初に言ってたじゃん、とつっこみたくなるよねえ。なんとなく、アメリカの現政権擁護的な感じがして、むむむな感じがぬぐえず・・・。それでいいのだ、という意見はあると思うけど(それにアメリカ映画だし)。

 最近ちょっとひねくれ気味。

(2007年8月21日)

硫黄島からの手紙(2006年) [洋画]

監督:クリント・イーストウッド
製作:スティーブン・スピルバーグ
出演:渡辺謙(栗林忠道中将)、二宮和也(西郷)、伊原剛志(西中佐)、加瀬亮(清水)、松崎悠希(野崎)、中村獅童(伊藤中尉)
上映時間 141分

 12月17日、渋谷ピカデリーで19:25の最終回で見てきました。ほとんど満席だったのではないかな。

 今話題の硫黄島二部作の二本目。硫黄島の戦いを、今度は日本側から見たものだ。ただ、日本側の人たちはほとんどが戦死してしまったから、実際どうだったのかということはよくわからない。この映画で描かれている人々についても、栗林中将や西中佐は実在の人物だが、硫黄島で実際にどのようにしていたのかについては、想像するしかない。(だから、エンドロールの最後に、「これは実話です」といいつつ、「会話などは脚色してある」という趣旨のことが出ていたよ)

 そうしたところからすると、ちょっと西中佐(バロン西)がかっこよすぎたかね。有名人ということかな。また、残念なのは、有名な決別電報を全部しゃべらなかったところだ。

 皆死んでしまったわけだから、現在と当時を行き来することもできず、第一作のような息もつかせないようなところはない。それがまた淡々としてよかったかもしれない。本で読んだ硫黄島はもっと悲惨だった。たとえば津本陽ね。だから、ちょっと期待が大きすぎたかな、まあこんなもんかなという感想。

 しかし、よくいわれているように、これをアメリカ人が作ったとは。ほとんど日本語だったよ。

(2006年12月18日)

父親たちの星条旗(2006年) [洋画]

監督:クリント・イーストウッド
製作:スティーブン・スピルバーグ
出演:ライアン・フィリップ、ジェシー・ブラッドフォード、アダム・ビーチ

 11月5日(日)。三連休の最終日に渋谷で観てきた。

 パンフレットにいわく「世界が忘れてはいけない島がある」。クリント・イーストウッドが作った「硫黄島2部作」の一本目。インターネット情報によると、あの有名な擂鉢山に星条旗を掲げた6名のうちの1人ジョン・ブラッドリーの息子ジェイムズ・ブラッドリー作の「硫黄島の星条旗」が原作となっているとのこと。

 硫黄島の戦闘、戦闘後に戦時国債キャンペーンに使われる兵士から戦後まもなく、そして現代において(ジェイムズ・ブラッドリーが)硫黄島で父とともに戦った元兵士から硫黄島のことを聞くシーンの3つの時間が、順次映し出される。凝ったつくりになっていて、2時間以上の大作であることを全く感じさせず、飽きない。突然、戦闘シーンに移ることが、兵士たちの心の傷を表現しているのだろう。

 硫黄島のシーンの最後は、擂鉢山に星条旗を掲げた兵士たちが、褒美として、海(戦闘中の)で泳ぐことを許されるシーンになる。海ではしゃぐ若者の姿がとても印象的だ。

 戦争を描いているのだが、タイトルは「父親たちの」となっている。ジョン・ブラッドリーは何も話さずに死んでしまったということが最後のほうにわかってくる。語らなかった父親たちの若い日々を探すということか。なぜ父親が語らなかったのかはわからない。しかし、父親と息子との関係はそういうものだという気がする。洋の東西を問わず。自分がそうだし、自分の父親もそうだ。これがこの映画の伏線か。

 あの星条旗が2つ目だったとか知らずに、いきなりこれだけ観たら、何を描いているのかわからんだろうなあ。

(2006年11月5日)

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。